2026-07-02

月に二度は、髪を洗いましょう

これは日本の某化粧品会社が、1932年に出したシャンプー広告だ。

今の私たちからみれば、常識はずれ、不潔極まりないように感じるかもしれないが、当時の人々からすれば、逆に「毎日洗うなんてありえないこと」なのだろう。

時代とともに変わる広告を並べると、そこには、様々な人の本音と建前が入り混じっていて興味深い。

シャンプー広告の変遷
1940年|御洗髪は、一週一度!
1955年|5日に一度はシャンプーを!
1965年|洗髪は週二回が適当です
1976年|毎日シャンプーしたっていいんです
1983年|知ってる?ティーンの2人の1人は毎日シャンプーしてるって
1989年|毎朝洗える、ふんわり洗える(朝シャンの誕生)

そして今、私たちは、シャンプー、クレンジングから始まり、リンス、トリートメント(インバス、アフターバス)、コンディショナーと、これでもか!というほど、髪にさまざまなものを塗るようになった。

毎日洗うことが当たり前になったのは、いつ頃からなのだろう。
そう考えて広告を眺めていると、今度は別の疑問が浮かんだ。
シャンプーがなかった時代の人たちは…

 

菌とは汚いものであり、それを殺すことが清潔である

知らず知らずのうち、そう教わってきたように思う。

だから私たちは、菌を殺す石鹸を使って、手を洗い、身体を洗い、髪を洗い、歯を磨き、顔を洗い、服を洗い、皿を洗い、部屋中を殺菌する。

菌を「敵」と考えるようになった背景には、十九世紀の細菌学の発展があったのだと思う。

一方で、細菌叢を意味する「Flora」という単語は、花と春の女神「フローラ」が語源になっている。私たちの皮膚にも、小さな森が広がっているのかもしれない。恩恵を与えるものもいれば、害をもたらすものもいる。その均衡の上に、穏やかな暮らしがある。

殺菌をすればするほど、悪い菌だけでなく、良い菌まで失っているように思える。除草剤を撒いたあとの畑がふと浮かぶ。生き物が減った土は、少しずつ、自ら肥える力を失っていく。

肌も同じなのかもしれない。洗えば洗うほど、目に見えない生き物が姿を消し、少しずつ乾いていくように思える。だから、あとから何かを補わなければならなくなる。

そんなことを考えているうちに、「毎日シャンプーをしなければならない」という思い込みが、少しずつほどけていった。試しに一度、 洗い方を変えてみることにした。

 

月に二度は、髪を洗いましょう

という広告を信じてみることにした。

まず私は、毎日シャンプーをすることを辞めた。代わりに、入浴前にブラシで小さなゴミを落とし、ぬるま湯で頭皮を丁寧にマッサージをしながら、すすぎ洗いするやり方に変えた。

初めのうちこそ、頭皮がすっきりしない感じや、髪がギシギシする違和感があったけど、それも徐々に馴染んでいき、気づけば、違和感は少しずつ消えていた。

煙の匂いが残る日や、汚れが気になる日だけ、シャンプーを使うようになった。それでも「月に二回まで」と決めて続けてみた。数ヶ月が経つと、シャンプーでの洗髪は特別なものになり、ホワイトニングやエステに通うような感覚で、「たまに使うもの」という立場に昇格した。

逆説的な話だが、シャンプーが毎日使うものではなくなったことで、より丁寧に作られた高品質なシャンプーを求めるようになった。作り手への敬意と感謝をもって、たまに訪れるシャンプー日和を私は楽しみにしている。

毎日シャンプーをすることが正しいのか、私には、まだ分からない。
ただ、九十年前のその広告を眺めていると、「常識」は、案外、時代がつくるものなのかもしれない。