土地を『所有する』ということ
Netflixで「地面師たち」という不動産詐欺の物語をみた。土地で騙し、土地を奪い、土地で巨額の利益を得る。不動産をめぐる欲望と暴力の話。
土地を買う。土地を売る。土地で儲ける。現代に生きる私たちにとって、それは、ごく当たり前の光景だ。
おおよそ地球上のすべての土地には、所有者がいて値段がついている。私たちは土地を手に入れるために働き、それを支払うために人生の多くの時間を費やす。都心では、ひと坪に数千万円という価格がつくこともあり、その価格は上がり続けている。
地面師の鮮やかな駆け引きを観ながら、私は不思議に思った。そもそも、人は土地を所有できるのだろうか。人類の長い歴史を振り返ると、その考え方は、ごく最近になって生まれた価値観にすぎない。その前の人々は、大地をどのような存在として見ていたのだろうか。
狩り(借り)をすること
日本において、国が公的に土地に値段をつけ、所有を許可し、地券(所有権)を与えるようになったのは、約150年前(1872|明治5年)のことだ。それまでは、村や藩のような共同体が管理するものであり、個人が自由に売買できる資産ではなかった。
「土地を所有する」という発想そのものを持っていなかったのではないだろうか。大地とは、神から授かった恵みであり、私たちは一時的に「住ませていただいている立場」に過ぎない。その土地で「狩り」をすることも、土地から「借りる」ことだったのではないかと、私は想像する。
一方、西洋では近世以降、土地は売買できる商品として扱われるようになった。その価値観は、植民地政策とともに世界へ広がり、「土地は売ることができる」という考え方そのものが、多くの地域へ持ち込まれていった。その結果、現代では世界中のほとんどすべての土地に値段がつき、私たちは土地の権利をめぐって働き、競争し、ときには争うようになった。
それが良いか悪いかを語りたいわけではない。ただ、人類の長い歴史を振り返れば、「土地を所有する」という考え方よりも、「土地を借りて生きる」という感覚の方が、はるかに長く、人類の常識だったのかもしれない。
踏まえて乗り越える
土地を売買することは、今の世の中では常識であり、個人が変えられる制度ではない。その制度によって私たちが、多大な恩恵を受けていることも忘れてはならないだろう。
土地が高度に管理されることで、道は整えられ、街はつくられ、水道や電気が行き渡り、私たちは全国を自由に旅することができるようになった。美しい街並みや文化もまた、土地を区切り、管理し、守ってきた人々の営みの上に成り立っている。
ただ、忘れたくないことがある。土地は、もともと人が作ったものではない。経済や社会の都合によって、一時的に「所有」や「売買」という形で扱っているだけで、その大地そのものは、はるか昔からそこにあり、私たちの死後もそこにあり続ける。あくまでも「預からせていただくもの」と考えた方が、善く生きることなのではないだろうか。
土地を手に入れるために、やりたくないことへ人生を費やしすぎないこと。利益のためだけに、大地を汚さないこと。子や孫、その先の世代へ、できるだけ美しい状態でお返しすること。制度は、すぐには変えられない。けれど、どのような態度で生きるかは選ぶことができる。
あなたは土地を、所有するものとして見るだろうか。それとも、自然からお借りしているものと思うだろうか。
読者の声
あなたが最初のひとりです。