2026-07-05

お金は貯めるためにあるのだろうか

あなたは、今どれだけ貯金をしているだろうか。

社会で暮らしていると、たびたび「貯金額がいくらか」という話題に出会う。たくさん貯めている人は堅実な人とされ、貯めていない人は、夏の日のキリギリスのように見なされる。結婚するまでに一千万円、定年までに二千万円。誰が決めたのか分からない目安が、いつの間にか人生の成績表のように語られている。

老後のために貯めたお金は、必ずしも使い切られるとは限らない。調査によれば、亡くなったあとに身内へ引き継がれる財産は、平均すると二千万円から三千万円ほどになるという。だとすれば私たちは、使うために貯めているのか、それとも相続のために働いているのだろうか。

そもそもお金とは、交換するための道具である。貯めることそのものを目的として生まれたものではない。飾るために包丁を買わないように、眺めるために靴を買わないように、お金もまた、本来は何かと交換するためにある。

私はどちらかといえば、使うために稼ぐ人間である。あなたは、キリギリスのような私を愚かだと笑うだろうか。

 

貯金は、眠るほど価値を失う

金貨や銀貨が使われていた時代とは異なり、現代のお金(銀行券)は、時間とともに流通量が増えていく。そのため、物価は少しずつ上がり、対してお金の価値は下がる。一万円という数字は変わらなくても、その一万円で交換できるものは、年々少なくなっていくのだ。

それは、地球の限りある資源の価格を眺めるとよく分かる。たとえば、ゴールド。

金のグラム価格|田中貴金属
2026年7月(現在)|23,799円
2016年(10年前)|4,509円
2006年(20年前)|2,374円
1976年(50年前)|1,183円
1956年(70年前)|585円
1925年(100年前)|1.7円

もちろん、ゴールドの価格だけを見て物事を語ることはできない。けれど、この数字は、お金の価値が「変わらないものではない」ことを教えてくれる。一千万円という数字は変わらない。しかし、その価値は静かに変わり続けている。

金融に明るい人は、資産を分散し、インフレに備える。現金だけで持たず、価値が残りやすい資産へ交換する。それは、とても合理的な考え方なのだろう。けれど私が言いたいのは技術の話ではない。価値が下がっていくものを、私たちは限りある人生の時間と交換してまで貯め続けている。それは本当に望んでいることなのだろうか。

 

あなたが稼いだお金

未来の安心に備える人を、私は尊敬している。病気や介護に備えるため。子どもの将来のため。家族に迷惑をかけないため。毎月少しずつ貯金を積み重ねることは、決して簡単なことではない。そうした規律正しい人たちがいるからこそ、この国の暮らしは支えられているのだと思う。

ただ、ひとつだけ願うことがある。あなたが稼いだお金は、ときにはあなた自身のためにも使ってほしい。会いたい人に会うこと。行きたかった場所を旅すること。読みたかった本を買うこと。そうした時間もまた、お金だからこそ交換できる、大切な財産ではないだろうか。

もし、貯めるために働き続けているのだとしたら、一度立ち止まってもいいのかもしれない。働く時間を少し減らし、そのぶん人生を味わう時間を増やす。それもまた、豊かな選択なのではないだろうか。お金は、人生を豊かにするための交換の道具なのだから。

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