2026-07-13

暑さに弱くなった人類

今年も猛暑の訪れがやってきた。車内は灼熱となり、街のアスファルトも熱した鉄板のように熱くなる。少し歩くだけで、肺炎を拗らせた老犬のように息が荒くなる。だから私は帰宅すると、迷わずエアコンをフルパワーで動かし、安全で快適な環境に変える。

「室温は28℃を目安に」。そんな言葉を耳にするようになって20年ほど経つ。省エネ政策の視点からみれば、大事なことなのかもしれないが、正直なところ、28℃は物足りなくないだろうか。ホテルも百貨店も、電車もコンビニも、空気が冷えていることが当たり前であり、少しでも暑いと、文句を言う人だっている。

夏は涼しく、冬は暖かい。そんな快適な暮らしが、私たちには当たり前になった。しかし考えてみれば、そんな快適な暮らしをしているのは、地球の陸上で人間くらいではないだろうか。だとすれば、ひとつ気になることがある。

私たちの身体は、本来持っていた体温を調整する力を失いつつあるのではないだろうか。使わない筋肉が衰えていくように。私たちの身体を、暑さや寒さから守る順応力は、眠りつつあるのではないだろうか。快適さは、本当に私たちに益だけを与えているのだろうか。

 

汗をかくほど、臭いは無くなっていく

東南アジアや中東など、日本とは比べものにならないほど灼熱の地域でも、人々は日々の暮らしを送っている。人間には、暮らしている環境へ少しずつ適応していく力があるからだ。

この現象は、「暑熱順化」と呼ばれている。暑い環境で過ごし、汗を流す機会が増えると、身体は汗をかくことが上手になる。汗は早く出るようになり、不純物の少ないさらさらとした汗へ変わっていく。その汗は効率よく気化し、体温を下げてくれる。つまり、人は暑さを経験するほど、暑さに強くなっていくのである。

一方で、汗をかく機会が少ない暮らしでは、この能力は十分に働かない。久しぶりに流れる汗は皮脂や分泌物と混ざりやすく、べたつきや臭いの原因になることがある。実は、汗そのものはほとんど無臭なのだ。動物園のライオンが狩りを忘れていくように、生き物は、使わない能力を少しずつ眠らせていく。

だから私は、猛暑の日でも、命に関わるような暑さでなければ、少しだけ汗を流す時間をつくるようにしている。不快さを避け続けるより、少しだけ受け入れる。その積み重ねが、人間が本来持っている順応力を呼び覚ましてくれるのではないかと思う。

 

文明がくれた、もう一つの選択肢

高度成長期における三種の神器と言われただけあり、エアコンは偉大な発明だ。何もかも投げ出したくなるくらいの猛暑日に、シャワーで汗を流し、霧ヶ峰のように冷えた部屋に入る瞬間は、天国かと錯覚さえ覚える。そこに冷えたビールと、ドイツ・ソーセージとザワークラウトがあれば、もうかける言葉はない。

けれど同時に、少しだけ思うことがある。快適さを選べる時代だからこそ、ときには少しだけ不快さを選ぶ自由も残しておきたい。ときには窓を開け、風を感じながら過ごしてみる。暑いことを肯定的に捉えてみる。負荷は不快である一方で、私たちをタフにしてくれるものだ。

負荷を選ぶ小さな勇気が、人類が何百万年もかけて磨いてきた順応力を、静かに思い出させてくれるのかもしれない。

関連記事

読者の声

あなたが最初のひとりです。