地球上でもっとも痛い治療
『地球上でもっとも痛い』と噂される、足ツボ治療を受けたことはあるだろうか。大きな男たちが悶絶をする様子を、一度はテレビで観たことはあるだろう。この足ツボ治療を何度か受けてみて、私は気づいたことがある。
初めて受けたとき、そのあまりの痛さに、先生が悪意をもって私を始末する気なのだと思った。「そこは違います、押すべき場所ではありません。また押すべき力を間違えています」と、手を緩めるように何度も懇願したが、彼は、「こういうものですから」と微笑みながら施術を続けた。
施術が終わると、立ち会いをした紹介者の友人が、撮影したビデオを見せてくれた。施術中には気づかなかったが、足裏を押す先生の手は、とても力を入れているようには見えなかった。むしろ、「撫でている」という表現の方がふさわしいくらいだった。それでも私は打ち上げられたあざらしのように、悶え苦しんでいた。
不思議なことに、私のあとに施術を受けた友人は、まったく苦しい様子を見せなかった。終始、安らぎのなかにいる様子で、先生との会話を楽しんでいた。彼がいうには、痛いのは初回だけで、それ以降はほとんど痛くないらしい。実際に、彼は施術を受けながら、眠りについてしまったのだ。
この現象に私はひとつの仮説を立てた。これは押す側の力の問題ではなく、押される側の身体の問題なのではないか。身体のどの部位を押しても、そこまで痛いということはない。それなら、私たちの足に何かしらの問題があったのではないだろうか。
刺激を受けなくなった足の裏
進化論のアイデアを採用するなら、私たち霊長類猿科のヒトは、そのほかの動物と同じように、素足で歩くことを前提に作られているのではないだろうか。現代のように、平らに舗装された道を、柔らかい靴下と厚い靴を履いて、歩くということは想定されていないのではないだろうか。
素足で山道を歩いてみるとよく解る。一歩足を踏み出すたびに、足の裏には、木の枝や小さな石が当たり、強い刺激が加わる。最初は痛いけれど、歩いているうちに足が慣れ、心地良くなってくる。足の裏から身体が火照ってくる感じさえある。まるでもうひとつの心臓のように、足の裏が全身へ流れを送り出しているような気持ちになる。
さらに加えるなら、今の私たちは、そもそも歩くことをほとんどしなくなった。マンモスを追いかけていた頃の時代には、一日中走り回ることが当たり前だったかもしれないが、今はそんなに歩かない。電車や車で移動し、建物では階段ではなくエレベーターを使う。一日の大半を椅子のうえで過ごす人だって少なくはない。足の裏を木の棒で撫でられたくらいで、涙を流し許しを乞うのは、施術者の悪意ではなく、刺激を受けなくなった人類への警鐘なのかもしれない。
甘やかすばかりが、優しさではない
大切に思うからこそ、たまには負荷をかけるのはどうだろうか。お風呂上がりにマッサージをしてみる。素足で海岸を踏みしめてみる。あえてひと駅歩いてみる。苗木が風を受けて強くなるように、身体も、負荷をかけることで強くなるのだろう。
便利さとは、不便さを取り除くこと。けれど、それを追いすぎると、本当は必要だったものまで取り除いてしまうこともある。エアコンで部屋を涼しくする。清浄機で空気を掃除する。遮光カーテンで光から部屋を守る。足の裏だけではない。便利が行きすぎると、私たちから必要な刺激まで奪ってしまうかもしれない。たまには、不快さを受け入れることを考えてもいいのではないだろうか。
なお足ツボ治療に関して、過剰な表現で脅してしまったなら、ひとこと訂正をしておきたい。本音を申し上げると、泣き叫ぶには十分なほど痛いが、人知を超えた痛みというまでではない。
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