2026-08-04

二度寝は、悪いことなのだろうか

あなたは、二度寝を悪いことだと思うだろうか。一度で起きられない人に対して、どのような印象を持つだろうか。もしかすると、『だらしない』とか『意志が弱い』と感じられるかもしれない。世間でも、生活リズムを乱すものとして語られることが多く、積極的に推奨している人は、まず見たことがないのではないだろう。

『早起きは三文の徳』という言葉に象徴されるように、私たちは早起きを美徳として教えられてきた。朝早くから活動する人は立派であり、勤勉さや誠実さの象徴として受け入れられている。一方で昼になっても起きてこないような人物は、朝日を拝む資格がないと、厳しい目を向けられている。もちろんこれは一般論であり、夕方から活動を始めるフクロウのような賢者だっているだろうが。

二度寝を悪いものだとみなす風潮に対して、私は疑問に思う。誰にとっても悪いものなのだろうか。早起きが立派だという価値観は、すべての人に当てはまるのだろうか。意外なことに、芸術家や作家のなかには、あえて二度寝を生活へ取り入れている人たちがいる。もちろん、それは多数派の意見ではないかもしれないが、彼らは二度寝を、単なる『心地よさの延長戦』としてではなく、『意義深い儀礼』のように捉えているらしいのだ。

 

あえて二度寝をする人たち

その理由を尋ねてみると、ひとつの共通点が見つかる。それは「夢を見るため」だと言うのだ。睡眠中にみる夢は、多くの場合、目を覚ますと忘れてしまう。しかし二度寝で見たときは、覚えていることが多い。だから、夢をみるためにもう一度眠るのだ、と。どうやら彼らは、二度寝の時間を、『ただ怠ける時間』ではなく、『創造的な営み』として捉えているようなのだ。

私はその話に興味を持ち、一時期、二度寝を利用して『夢を操作する訓練』を続けていたことがある。初めのうちは上手くいかなかった。ランダムに映し出される映像を、ただ受け身で眺めているだけだった。しかし練習を重ねるうちに、乳児が身体の動かし方を覚えるように、私も夢のなかの自分を操作できるようになった。入眠直前に思い描いた風景から、夢の世界に入り、そこから自らの足で、歩けるようになったのだ。

この時間は私にとって大きな意味をもつものとなった。理性を保ちながらも、現実世界では到底描けないような景色の中で、自分の意思で活動ができるようになったのだ。空を飛びたいときには、翼を得た姿で夢にログインし、風の受け方を練習することができた。幼少期の記憶や、忘れかけていた過去の知人にも、再会ができるようになった。そして何より、夢の中で出会った風景や物語は、目覚めても私の中に残り続けた。私にとっても二度寝は、もっとも重要な仕事のひとつになったのだ。

 

無を制作し続ける

かつて、クロード・ドビュッシーが、オペラの創作に行き詰まっていた時期について、「私は日々、ただ無(リアン)を制作し続けていた。」と言ったそうだ。彼の言ったことが、今なら解る気がする。何もしていないように見える時間さえ、創作の過程だったのだろう。私たちは、生産的に見えない時間を、怠惰だと決めつけてしまいがちだが、そこにも創造の種が眠っているのかもしれない。

人生において、本当に価値があるものは、いつも効率的とは限らない。お酒を飲んでいるときや、お風呂に浸かっているとき、ただぼんやりとしているときにも、アイデアが降ってくることもある。もちろん私は、二度寝そのものを肯定的に勧めているわけではない。ただ、「効率が悪そうだ」という理由だけで切り捨ててしまうのは、少し味気ない考え方ではないだろうか。