iPhone 18 は買うべきか
11月になるとボジョレー・ヌヴォーが解禁されるように、毎年秋の訪れに合わせて、恒例となったAppleの新作発表が行われる。今回も期待されているのは、18世代目の新作iPhoneだろう。折りたたみ型になるのだろうか。AIとの連携はどうなるのか。驚くような新機能が実装されるかもしれない。多くのガジェット好きたちが、今から期待に胸を膨らませている。
しかし私はふと疑問に思った。我々はいつまで新作を追い続けるのだろうか、と。私が初めてiPhoneを手にしたのは、十数年前。そのときは確か、モデル3か4だった。気づけば毎年のように新型が発売され、今では18世代になろうとしている。このままいけば、iPhone38とか、iPhone73に辿り着くのは時間の問題だろう。それは私たちが本当に求めていることなのだろうか。
いつから私たちは、最先端の道具を求めるようになったのだろう。古いものよりも新しいものが常に優れていると思い込み、新作が出るたびに心を動かされる。五年前のものを持っているだけでも、時代遅れなのではないかと疑ってしまう。しかし本来、道具とは目的のために選ぶものだったはずだ。山菜採りにランボルギーニが必要ではないように。
道具に使われる
私もかつては、最新の機器を揃えていた。新しいスマホに新しいパソコン。直感的に操作ができるので、素人の私でも動画の撮影ができ、簡単に編集もできた。機能が増えるたびに、その性能を使わなければならないような気がしていた。シネマモードが実装されれば、撮るものを探して歩くようになった。気づけば、空撮のためのドローンや、指向性マイク、360°カメラまで買いそろえ、ちょっとしたスタジオのようになった。『執筆をするため』にパソコンを買ったのに、『駆け出しのクリエイター』に、ジョブチェンジしていたのだ。
私の仕事は、高度な機能は必要としていない。映像編集もしなければ、プログラミングも行わない。文字が打てればいいのだ。よくよく考えてみれば、スマートフォンだって、ほとんど必要がなかった。だから、最小限の機能だけ備えたパソコンと、小さなタブレットに持ち替えた。そうして無事に、執筆する暮らしに戻ることができた。
道具とは、本来、暮らしを豊かにするためのものだ。しかし、性能が目的を大きく上回ったとき、その立場が逆転することがある。道具を使っているつもりが、いつの間にか道具に使われてしまうのだ。優れた道具を持つことが、いつも優れた結果を招くとは限らない。食パンを切るのに日本刀が必要ではないように。
集めるために資格を取る
道具だけではない。たとえば資格も、本来は『なりたい仕事』のために取る。しかし、いつの間にか資格を集めることそのものが目的に変わってしまうことがある。あるいは、お金や情報だって同じだろう。豊かになるための手段だったはずなのに、気づけば、それを集めることが目的にすり替わっている。
だから私は、新しい道具を買う前には、「何をしたいのだろう」と自らに問いかけるようにしている。その答えが変わらない限り、道具を変える理由はほとんどない。もし、今使っている道具で十分に目的を果たせるのなら、それはもう十分なのだ。
Appleはこれからも、新しいiPhoneを生み出し続けるだろう。それは本当に素晴らしいことだ。しかし、買い替えるかどうかは、私たち自身が決められる。「その性能を、本当に必要としているのだろうか。」私は、毎年その問いだけは忘れずに持ち続けたいと思う。