2026-08-13

雨傘|SUSTO

あなたは、雨の日がお好きだろうか。目を覚まして雨音が聞こえたら心が躍るだろうか。『雨に唄えば』のジーン・ケリーのように、タップ・ダンスができればいいのだろうが、あいにく私には気の利いたステップの持ち合わせはない。ろくに踊ったこともないので、負傷したカニみたいな動きになるだろう。それにしても、雨の日が好きだという人はあまりいないのではないだろうか。

なぜ私たちは、雨の日を『悪い天気』だと呼ぶのだろう。雨は生きるうえで必要な天からの恵みであり、それを呼ぶために、動物供犠まで行った歴史だってあるのだ。大歓迎とまではいかないにしても、忌み嫌うというのは、いかがなものだろうか。それはまるで、無償の庇護を受けながらも、文句ばかり口にしている反抗期そのものである。私が雨側の立場であれば、ときに箱舟が必要になるくらい大雨を降らしたくなる気持ちも解る。

そもそも『雨が嫌』というのは、雨側に問題があるのではなく、私たちの受け取り方の問題ではないだろうか。あるいは、『雨を楽しみに変える何か』を持っていれば、解消することではないのだろうか。優れたテーマパークは、雨の日に訪れた客を悲しませないように、雨限定のイベントを用意していたりする。そのように自分の暮らしにも雨の日だけの楽しみを用意してみる。そうすれば、朝起きて雨音が聞こえたとき、気分は晴れるのではないだろうか。

 

傘をさすと、色がさす

私は『傘』にこだわりを持つことにした。無個性なビニール傘ではなく、とびきり個性的で、作家の願いがこもったものを探した。そしてたどり着いたのが、SUSTOの『海底食堂おおなみ』だ。SUSTOの傘には、版画作家がコラグラフの手法を用いて制作したアートが描かれており、いずれも美しいのだが、『海底食堂おおなみ』は、シンプルな装いによく合うのだ。カジュアルからフォーマルまで、どこに連れて歩いても、私を飾ってくれる。

こだわりの傘をもつ利点は、周りからの印象が変わるだけではない。差した人物から見える世界が変わるのだ。海底食堂おおなみの場合、差した瞬間から、珊瑚礁の浅瀬を思わせる浅葱と納戸の色彩が頭上に広がり、いつもの街が、海底の美術展に変わる。周りから見て美しいというだけでなく、差した側の視点が変わるというのは、この傘を持つまで知らなかった。

私は、この傘をもってから、雨の日を待ち望むようになった。降る可能性が少しでもあれば、曇りの日でも傘をもって出かけるようにもなった。遠足の日に早起きをしてしまう子どもみたいに。クリスマスになると、街が華やかな装いになるように、梅雨の時期が、海底で版画を眺める季節になったのだ。変わったのは街ではない。傘を一枚挟んだだけなのに、私から見える世界が変わった。

 

嫌な時間に、別の名前をつける

月曜日が憂鬱だという人が多いそうだ。しかし雨の日と同様に、月曜日に罪はない。「休み明けで仕事が始まる日」ということを強調しているから、嫌いになるのではないだろうか。それなら、月曜日だけの楽しみを作って、名前をつければいい。たとえば、『月とワイン』なんてどうだろう。気の効いたワインと小料理を用意して、MoonRiverを流しながら、月曜の夜に飲むのだ。

早起きが苦手なら、朝の時間を特別にすればいい。手挽きのミルでコーヒーを淹れる。時間をかけてお風呂に入る。モーニング・カクテルでお祝いをしてもいいだろう。この世界には『朝からパーティーをしてはならない』という法律はないのだ。そうすれば、早く起きたいがために、早く寝ようと深い眠りにつけるかもしれない。要するに、嫌いな時間があるなら、好きに変えてしまえばいいのだ。

ひとつの道具で、見える世界が変わることがある。雨の日を陰鬱な日だと憎むのか。あるいは、特別な日だと感謝するのか。嫌いなものを無理に好きだと思い込む必要はない。好きになる動機を、自分でひとつ置けばいい。ひとつの傘が、見える世界を変えてくれることがあるのだから。