禁じられた大麻の衣服
私は年間を通して、大麻の服を愛用している。肌馴染みがよく、見た目も美しく、通気性も優れているからだ。気に入りすぎて、まったく同じ服を五着も揃えている。しかし今、その国産大麻の衣服は、手に入りにくくなってしまった。この国で二千年以上受け継がれてきた衣文化は、今や絶滅危惧種といっても過言ではない。
念のため断っておくが、麻(リネン)のことではない。そもそも「麻」とは、植物繊維を総称して呼ぶ言葉であり、リネン(亜麻)も、ラミー(刺草)も、サイザル(龍舌蘭)も、ジュート(シナの木)も、すべてひとくちに麻という漢字が当てられているのだ。
同じ霊長類ヒト科であっても、我々人類が、チンパンジーやボノボ、オランウータンと一緒にされては困るように、麻にだって違いはあるのだ。私が愛しているのは、二千年以上、この国で稲と並ぶ二大産業であった大麻、ただひとつである。
市場の原理は、需要と供給の均衡だ。だから、大麻の衣服を求める人が増えれば、生産者も増えることだろう。私は、この衣服が心の底から気に入っていて、手に入らないと本当に困るため、どうか求める人が増えることを願うばかりである。
大麻布、その白の美しさ
私が大麻の衣服に出逢ったのは、今から五年前のことだった。大麻布の研究家で、芸術家でもある、吉田真一郎先生が立ち上げた「麻世妙」というブランドでその存在を知った。当時の私は、大麻に対してあまりに無知で、「麻薬(マリファナ)」と同義だと思っていた。だから大麻が、日本の重要文化であることを知って、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
初めて大麻シャツを手にとり、私が感じたことは、その白の美しさだった。デジタルで指定した白(#FFFFFF)とはまるで違う白。柔らかくて、温かくて、全てを包み込むような白。これが自然界の白なんだと、心を打たれた。
肌馴染みも素晴らしく、綿や絹のそれとは趣が異なっていた。私にとっては、これまで出逢った繊維のなかで、もっとも心地がよかった。汗をかいてもさらりとしており、すぐに乾く。不快な臭いも全くしない。比較のために化学繊維の肌着を着ると、息苦しさを錯覚してしまうほどだった。
「背守り」の刺繍がしてあったのも、心にくい配慮だと感じた。神道で大麻が重宝されるように、古来から大麻は神聖な植物として用いられてきた。そのため、私は心の込められたシャツを着ることで、何かに守られているような気持ちになれた。
残念なことに、現在このブランドでは、日常着の販売はしていない。価格もそれなりにしたし、価値が伝わりにくかったのかもしれない。あるいは、別の事情があったのかもしれない。理由は私にはわからない。ただ、もし大麻布を求める人が増えれば、いつの日か再び織られる日が来るのではないか。そんな淡い期待を抱いている。
化学と伝統の調和
もちろん、私は化学繊維に否定的なのではない。真冬の防寒着、丈夫な作業着、登山のウェア。化学の叡智によって生み出されたものが多くある。そして何より、それまで高価だった衣服が、安価に量産できるようになったことで、誰でもおしゃれを楽しめるようになった。
一方で、日本が古来から紡いできた大麻や絹のような素材。野草をつかった染色の技術。和服や手ぬぐいなどの衣文化。新しいものを選べる時代だからこそ、古いものまで失う必要はない。大麻の衣服に袖を通すたび、この国が二千年以上守り続けてきた営みは、まだ終わっていないのだと思える。