手ぬぐいを使ってタオルに戻れなくなった
あなたは、手ぬぐいを使ったことはあるだろうか。「手ぬぐいなんて、お爺さん、あるいはお婆さんが使うものでしょう」と言う人がいるかもしれない。確かに統計的にみればその通りなのだが、私はこの時代にこそ、タオルから手ぬぐいへの乗り換えをお勧めしたい。
かくいう私も、五年前に友人から勧められるまでは、手ぬぐいは過去の遺物だと思っていた。それは「ふんどし」とか「もんぺ」と同じように、昔話のなかでのみ存在するものであり、一部の物好きな人が使うものだと捉えていた。薄っぺらい手ぬぐいよりも、タオルの方が、ふわふわで気持ちが良いじゃないか、と斜に構えていたのである。
これはずいぶんな偏見だと思うが、私はつねづね、タオル選びにはその人間の価値観と品位が現れると確信している。何のこだわりもなく、どこかでもらった記念品を使うのか。あるいは柔らかさを重視して今治産を選ぶのか。ボリューム感を優先するのか、乾きやすさを採るのか。良いタオルを選ぶには、それなりの見識と経験が必要なのだ。
当時、四国を旅しながら、理想のタオルを探していた私にとって、藍染めの手ぬぐいとの出逢いは、パラダイム・シフト(観測が変わる瞬間)そのものだった。薄い布切れが、何十年も改良され続けてきたタオルに勝つなど、想像もしていなかったのである。そろそろあなたも手ぬぐいが欲しくなってきたのではないだろうか。
引き算の美学
一般的に『良いタオル』とは、大きく、柔らかく、吸水性の高いものを指す。つまり、数値で表すことのできる『足し算の観点』で評価される。その証拠に、ラグジュアリー・ホテルでは、厚く柔らかいタオルが備わっている。枚数も増え、バスローブまで用意されていることだってある。
特別な日に使うならいい。しかし毎日の暮らしにおいて、分厚くて柔らかいタオルは、手入れが大変だ。乾きにくく臭いやすく、清潔に保つには手間がかかる。折り返し部分(ヘム)には汚れが溜まりやすく、刺繍も解れやすい。
一方で、手ぬぐいには『引き算の美学』が採用されている。必要最低限の薄さ。端は切りっぱなし。余計な装飾もない。一見すると、どこか頼りない布のようにも見える。しかし、その素朴さこそが強みなのだ。固く絞ればすぐに水が切れ、風に当てれば数分で乾く。端を縫っていないため、そこに湿気や汚れが溜まることも少ない。使い始めは糸がほつれるが、それは古い繊維を自然に落とすための仕組みでもある。
さらに、藍や紅花といった植物で染めた手ぬぐいには、昔の人が経験的に利用してきた抗菌性もある。そのため洗濯ができない環境でも、不思議と気持ちよく使い続けられる。長い旅でも、一枚の手ぬぐいがあれば事足りる。豊かさとは、足すことだけではないのだ。
昔の道具には、生き残る理由がある
高級ホテルに泊まり、分厚く柔らかなタオルに包まれると、幸福な気持ちになる。バスローブを羽織れば、「カンガルーの赤ちゃんは、こういう気持ちなのだろうな」と安心もする。だから私は、タオルを否定したいわけではない。
昔の日本には、「霽れ(ハレ)」と「褻(ケ)」という考え方があった。特別な日には特別なものを。日々の暮らしには、飾らないものを。手ぬぐいは、まさに褻の道具なのだと思う。
そして、もう一つ気づいたことがある。何百年も形を変えずに残ってきたものには、残るだけの理由があるということだ。
だから私は、新しいものを追いかけるだけでなく、ときどき過去に目を向ける。昔の暮らしには、時代や場所を超えて受け継がれてきた知恵がある。その中には、現代の私たちの暮らしを、もう一度豊かにしてくれるものがあるのかもしれない。