2026-06-30

スマートフォンを海に投げ捨てる

あなたは、スマートフォンを手放したいと思ったことはあるだろうか。子どものときには持っていなかったにもかかわらず、気付けば手元にないと不安になる。いつも通知に気を取られ、「縛られている」と違和感をもったことはないだろうか。

私は二年前に、スマートフォンを捨てた。計画的というよりは衝動的だった。禁断の果実を、今ここで手放さなければ、おそらく二度とこんな機会はない。なにの脈絡もなく、ふとそんな考えが浮かび、気づいたときには海に放り投げていた。

しかし今思えば、正気ではなかったのだと思う。私のやったことは不法投棄であり、恥ずべきことをしてしまった。連絡先や電話番号も、控えを取らずに海に沈めてしまった。電子マネーも蔦屋のポイントも海底に沈んだ。そして何より、その海岸は、私が運転中にたまたま立ち寄った見知らぬ土地だったため、どうやって帰ればいいのかもわからなくなってしまった。私は迷子になったのだ。

理性を欠いた行動ではあったものの、結果としてこの日を境に、私は十九年ぶりに『携帯電話のない暮らし』を始めることになった。よくも悪くも人生の転機となり、今日までの866日間、未だ買い直していない。

 

きっと困ったことになるぞ

もしかすると、あなたは私のことを、『テクノロジーを憎む偏屈な人物』だと思われるかもしれないが、そんなことはない。私は十年以上、オンラインで仕事をしているし、ドローンで撮影もする。お掃除ロボットを三台持っているし、サイエンスとニュートンは欠かさず読んでいる。偏屈かもしれないが、嫌っているわけではない。

しかしそんな私でも、スマホが無いなら無いで、案外やっていけるものだ。周りからは「困ったことになるぞ」と心配されたが、周りを困らせただけで、私に困ったことは起きなかった。連絡をしたいときには、パソコンを開けばいい。カードと現金があれば、買い物に困ることもない。道に迷っても、スマホを無くしたんです、といえば、みんなが親切にしてくれる。

もちろん、ときには不便を感じることはあるが、それでも買い直さない理由はふたつある。ひとつは、意識を遮られないこと。使わないときには電源を落とすパソコンと、常に電源が入っているスマートフォンとでは、性質が全く違う。完全にログアウトするからこそ、静かさのなかで本を読み、飽きるまで執筆に向き合うことができる。私にとっては、これが何より大きかった。

ふたつめは、自分の手で道具を扱う時間が増えたこと。写真はフィルムカメラを使うようになり、運転中には地図とコンパスを使うようになった。かぶらのペンで文字を書き、手紙を贈るようになった。全てがひとつに収まったスマホではなく、独立した道具を使うからこそ、こだわりが生まれ、ひとつひとつを丁寧に扱うようになった。得られる恩恵と、それに伴う損失。それらを天秤にかけた結果、私の場合はわずかばかり『手放すこと』に軍牌があがったのだ。

 

早まってはいけない

私はスマホを捨てることを勧めているわけではない。むしろ、ほとんどの方にとっては、持っていた方が便利に違いない。仕事にならないということだってある。だから、もし海に向かおうとしていたなら、一度、足を止めて頭を冷やしていただきたい。冷静に考えれば、捨てる必要なんてどこにもないのだから。

しかしそれでもなお、「常に気になっている」とか、「触らないと不安になる」という感情があるならば、付き合い方は変えてもいいかもしれない。たまには電源を切ってみたり、持たずに出かけてみるのも良いだろう。チャップリンが『モダン・タイムス』で描いたように、私たちは道具を使うことはあっても、道具に使われることはあってはならないのだから。私が本当に手放したかったのは、スマホではなく、スマホに奪われる時間だったのかもしれない。