寿命をもたない車
バルカン半島を旅行中の友人から、寿命のない車を預かることになった。1978年のフォルクスワーゲン・バスは、手入れすれば孫の代でも乗れるらしく、「適度にメンテナンスをするように」という伝言を残して、彼女は一年間の旅に出た。
寿命のない車とは…?私が知る限り、自動車というものは、走行距離が10万kmを越えると買い換えを検討するべきものだった。そのため「寿命のない車」と聞いた時、私は彼女が車のことをまるで解っていないのだろうと考えていた。トミカやミニ四駆とはわけが違うのだ。
しかし、確かにその車には寿命というものが存在していなかった。手入れして乗り続けることを前提に造られているらしく、すべての部品は今でも手に入り、エンジンも乗せ替えれば何度でも息を吹き返すようだ。こまめにオイルを交換する必要はあるが、孫にも引き継げるというのは、大袈裟ではないらしい。
一方で現代の自動車は、短期間で買い替えることを前提に設計されている。機能が複雑になるほど、買い替えのサイクルも短くなり、高度なアプリケーションと連動したEV車に至っては、平均寿命は約8年だと言われている。
オートローンの支払いが終わるころに、次の買い替えを提案されるというのは、皮肉であるようにも思う。そもそも、優れた技術者が造る自動車が、ほんとうに数年で廃車にしなければいけないのだろうか。それとも、そうだと思い込まされているのだろうか。
寿命を延ばす文化
大量生産・大量消費が当たり前になる以前、道具は手入れをして使い続けることが当たり前だった。包丁は何年でも研いで使う。革靴は表面を磨いて底を張り替える。時計は分解掃除して子へ受け継ぐ。壊れたら直すのが当たり前で、捨てるという発想自体がなかった。
だから、新しいものよりも、長く手入れされた「古い道具」に価値があった。クラシックやヴィンテージとは、単に古いものを表す言葉ではなく、時を経ても価値を失わないものを指している。
西洋の歴史ある倶楽部では、今でも客の身なりを見ることがあるそうだが、それは「高価なものを身につけている」ことではなく、「持ち物がよく手入れされているか」を見ているのかもしれない。
物が溢れ、欲しい物が簡単に手に入るようになると、人は、古いものよりも、新しいものに価値があると考えるようになった。そうして、手入れするくらいなら買い換えようという流れが生まれたのだろう。
壊れなくても買い替える
現代の技術は素晴らしい。衝突安全性能もエアバッグも、多くの命を救ってきた。燃費も向上し、どれだけ連続して走っても、エンジンは発熱しない。自動車のおかげで、私たちの暮らしは、言葉にできないほど豊かになった。
一方、便利さと引き換えに、「壊れたら買い替える」という価値観まで受け入れる必要があるのだろうか。一台の車を手入れしながら三十年乗る。一足の革靴を十年大事に履く。一冊の本を何度も読み返す。
本当は、寿命をもっていたのは車ではなかった。「買い替えるのが当たり前」という、私たちの思い込みだったのかもしれない。
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