2026-07-22

世界を魅了する、金色の傷跡

大切にしていた器にひびが入ってしまった。あるいは、高価な皿を落として、割ってしまった。そんなとき、あなたならどうするだろうか。もちろんこの問いは、「悲しみに暮れる」とか、「しばらく喪に伏す」という答えを期待しているのではなく、対処の話である。

粉々になってしまった場合は、諦めるしかないだろう。しかし傷や欠けくらいであれば、そのまま使い続けられるかもしれない。接着剤を使って繋ぎ止めるかもしれない。あるいは、「金継ぎ」という選択肢もある。金継ぎとは、割れたところを漆で塗り固めたのち、継ぎ目を金で装飾する日本の技である。

その存在は知っていても、金継ぎされた器を鑑賞したことのある人は、案外少ないのではないだろうか。料亭や旅館で、金色の筋が入った器を見かけたことはあっても、手に取ってそれを眺め、その背景にある思想まで考える機会は少ないだろう。

改めて考えると、金継ぎとは不思議なものだ。傷を隠そうとせず、むしろ金によって際立たせているのだから。恥を隠すのではなく、見せる。人に喩えるなら、結婚して離婚したことや、乗馬して落馬したことを、その経験ごと、その人らしさに変えてしまうようなものだろうか。

この独特な美意識は、いまや海を越えて世界を魅了している。評価されているのは、金色に輝く傷跡の美しさだけではない。壊れたものを捨てず、その傷とともに生かしていく姿勢なのだろう。金継ぎには、物との向き合い方だけでなく、日本人が大切にしてきた在り方や精神性が表れている。では、いったいどこの誰が、どのような経緯で、この文化を生み出したのだろう。

 

割れた茶碗、悲しむ将軍

金継ぎの起源については諸説あるが、もっともよく知られているのは、慈照寺、いわゆる銀閣寺を造営した足利義政にまつわる逸話である。

義政は、唐物と呼ばれる中国渡来の茶碗を大切にしていた。しかしある日、それが割れてしまった。義政は深く悲しみに暮れ、しばらく喪に伏した。しかし潔く捨てられるような代物ではなかったのだろう。義政はその割れた碗を中国へ送り、修理を依頼したのだ。数ヶ月して茶碗は戻ってきたが、その姿は金属のかすがい(接合金物)で留められており、痛々しい姿に変わり果てていた。義政は再び悲しみに暮れて喪に伏せた。

やがて彼は、信頼に足る職人を集めて、相談を持ちかけた。「今後も器は割れるだろう。そのとき、美しく復元できないだろうか」と。そうして職人たちは、漆を用いて接着し、その継ぎ目に金粉を蒔いて仕上げる技法を編み出した。それは見事としか言いようがなかった。割れた器は再び命を吹き返すだけでなく、金色の傷跡が、新たな表情を与えているように感じさせたからだ。

多くの修復では、元通りにすることを目指す。しかし金継ぎは、修復の跡そのものを、新たな景色として鑑賞する。傷を隠さず、あえて受け入れ、その歴史ごと美しさに昇華させたのだ。もしも義政が職人をして、「美しくできないか」ではなく、「元通りにできないか」と尋ねていれば、結果は変わっていただろう。

 

かたちあるものは壊れる

壊れたら捨てる。新しいものに買い替える。これは物が溢れる時代を生きる私たちにとって、ごく当たり前のことだろう。しかし「直してまた使う」という選択を持つと、物の買い方や付き合い方が大きく変わる。少なくとも私はそうだった。

靴を磨くようになった。底がすり減れば張り替えるようになった。その代わりに、少しだけ値の張る上質なものを使うようになった。鞄も服も、あるいは電子機器さえも手入れをするようになった。

金継ぎをすると、そうした価値観をさらに深めてくれる。これは実際に手を動かして、体験した人にしか解らない。直した器に対して、以前より一層深い愛情を感じるようになるのだ。傷を美しいものと感じるようになるのだ。壊したことが思い出に変わるのだ。

物が溢れる時代だからこそ、一度だけ、直して使うという選択をしてみてほしい。そして、その勢いのまま金継ぎにも挑戦してみてほしい。器が変わるだけではない。物との付き合い方そのものが、変わり始めるはずだから。

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