なぜ給食は、ご飯に牛乳なのだろう
あなたは、学校給食で、何が好きだっただろうか。わかめご飯?クリーム・シチュー?アルファベット入りスープ?私が好きだったのは、フルーツ・ポンチ。あの日だけは、誰も彼も押しのけて、おかわりをしに行ったことを覚えている。嫌いなのはアーモンド・フィッシュ。照りのある小魚が喉に刺さって苦しいからだ。
ところで給食では、なぜレギュラー・メンバーとして、『牛乳』が出てくるのだろうか。コッペ・パンの日であれば、まだ文句はないが、白ごはんに組み合わせるというのは、どういう魂胆なのだろうか。フルーツ・グラノーラに、鰹と昆布の合わせ出汁をかけても良いというのだろうか。無垢な少年時代の私は、疑うこともなく、出されるがままに飲んでいた。しかし、今だからこそ文句をいいたい。白ごはんに牛乳を合わせるのは、もはや軽犯罪だ。ついでに申し上げると、『めんこ』もやめていただきたい。あれは爪が痛むうえに、クラスにひとりは熱心な蒐集家が現れ、なぜかこちらまで彼のコレクションに付き合わされるからだ。
とはいえ、牛乳は全国の学校給食で、長年にわたって『飲料の王座』を守り続けている。そこには、献立との相性だけでは測れない、それなりの理由があるはずだ。そもそも日本では、いつから学校で牛乳を飲むようになったのだろう。そしてなぜ、飲み物として、緑茶やほうじ茶でなく、牛乳が選ばれたのだろう。
雪山に届けられた一枚の毛布
給食に牛乳が出されるようになった起源は、戦後に広まった『脱脂粉乳』にある。当時の日本では、いまの私たちには想像もつかないほど、食べ物が致命的に足りていなかった。芋や豆でかろうじて、生き繋いでいるような状態で、そこに届けられた粉末のミルクは、貴重な命の源になった。そこから国の供給体制が整うにつれて、粉末のミルクは、牛乳へと替わっていったのだ。献立が何であろうと、一人一本。とりあえず、牛乳を飲めば、必要な栄養を補うことができる。それは、吹雪のなかで凍える人々へ、一人一枚の毛布を配るようなものだった。
そんな牛乳に対して、白米にマリアージュしないだの、乳製品は四毒だの、雑巾が臭うだのと文句を言うなら、それは豊かな時代に生きる者の、身勝手なクレーム以外の何ものでもない。雪山に届けられた毛布に対して、「この柄は、今日の私のコーディネイトに合わない」と文句を言う人がいるだろうか。そんな愚か者は凍えて召されてしまえばいいのだ。
もちろん、雪山を降りたあとまで、毛布を被り続ける必要はない。先人たちの努力によって、私たちは豊かな食卓を囲めるようになった。かつて牛乳に頼っていた栄養も、魚や肉、豆や野菜など、さまざまな食材から摂ることができる。いまでは栄養だけでなく、美味しさまで求められるようになった。しかし、そんな贅沢な悩みを持てるのも、かつて雪山に毛布を届けてくれた人がいたからだということを、私は忘れたくない。
毛布を届けた人を批判する
健康について少し勉強すると、スーパーは途端に危険地帯になる。砂糖や小麦は毒、植物油は病気の元。野菜を手に取れば農薬が気になり、裏返せば食品添加物が並んでいる。そうして最後には、『オーガニック』と書かれた棚だけが、暗闇に浮かぶ避難誘導灯のように見えてくる。
しかし、農薬も化学肥料も食品添加物も、厄災のように、誰かを不幸にするために発明されたわけではない。むしろ、その開発に携わってきた人々は、安易に批判する私たちよりも、遥かに多くの時間をかけ、知恵を絞り、目の前の問題を解決しようと試行錯誤してきた。数冊の本を読んだだけの我々が、彼らを無知や悪意の側へ置いてしまうのは、傲慢を通り越えて、滑稽でさえないだろうか。
それでも白米に牛乳は合わないと私は思う。しかし、毛布を脱ぐことと、雪山までそれを届けてくれた人を否定することは、まったく違うことだと、私は思う。