日本人は、玄米を食べていなかった
意外かもしれないが、江戸時代に「玄米を食べていた」という事実は認められていない。それは、「白米の美味しさを知って腰を抜かし、誰も玄米に見向きをしなくなった」という話ではなく、「玄米のままでは、調理することができなかった」ということらしい。民俗学の資料には、ぬかの層を落とした「分搗き米(白米と玄米の中間)」を食べていたと伝えられている。
ご存じのとおり、玄米には豊富な栄養素が含まれている。三大栄養素に加えて、ビタミンやミネラルなど、私たちが生きる上で必要な栄養の多くをそこから摂ることができる。だから稲が種子を実らせると、それを求めて、鹿やら猪やらスズメやらがこぞってやってくる。
ここで、稲の立場になって考えて欲しい。一生をかけて遺した自分の子ども(種子)を、簡単に食べられていいのだろうか、と。私なら許すことはできないし、せめて一矢報いてやりたいと策を講じるはずだ。そこで彼女たちは、種皮を硬くし、簡単には消化されない仕組みを身につけた。まるで「消化されずに旅をする呪い」をかけたように。それは効果的だった。鳥たちは餌として食べながらも、種子を撒いてくれるようになった。
玄米は、人間の身体のためにつくられた食べ物でもない。植物が何万年もかけて守ってきた種子である。そう考えると、炊き方にも少しだけ敬意を払いたくなる。以下は、私が普段意識している炊き方である。
人類と植物の代理戦争
科学的に解っていることとして、種子が動物に捕食されると、その消化酵素から実を守る物質(捕食者からすれば反栄養素)が発生する。だから種子を生のまま食べても、その多くは栄養として吸収できずに、外に排泄されてしまう。これは動物と植物の生存をかけた代理戦争なのだ。
しかし、鉄壁にみえる種子にも弱点はある。まずひとつが、発芽が始まると防御プログラムが解除されるということだ。地に足がついたから、もう大丈夫、ということだろう。だから玄米の場合は、発芽が始まるまで浸水すれば、反栄養素を減らすことができる。玄米を観察していると、水に浸して丸一日くらいで、それが始まる。
もうひとつは、熱を加えることだ。レクチンのようなタンパク質由来の反栄養素は、熱を入れることで働きを弱めることができる。時間をかけてゆっくり炊くことで、植物が張り巡らせた防御を少しずつ解いていくのだ。薪の時代にはこれが難しかった。けれども私たちには文明の利器(電気とガス)があり、これによって代理戦争についに勝利したのだ。
火が使えるという奇跡
私たちは、人類700万年の歴史で初めて、火を自由に使えるようになり、そのおかげで、種子を調理し食べられるようになった。私は、涙を流しながら讃えあうほどの奇跡だと思うのだが、大袈裟だろうか。
石油資源を発掘してくれた人、それを運んでくださる人、インフラを整えて届けてくれる人。私はこれら全ての方に心からの敬意と感謝の念を送りたい。
玄米を食べられるということは、そうした奇跡の上に成り立っている。だから私は急いで炊こうとは思わない。水に浸し、火を入れ、時間をかける。その手間は、植物への敬意であり、人類が手にした火への感謝でもある。
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