2026-07-24

猟師が譲ってくれない『穴熊の肉』

あなたがこれまでの人生で食べたものの中で、もっとも美味しかった肉。あるいは記憶に残った肉はどのようなものだろうか。宜しければ、食いしん坊な私に、教えていただけないだろうか。

『穴熊』をお召し上がりになったことはあるだろうか。私は過去に何度か、目にする機会はあったものの、ひと口かふた口しか分け与えられたことはなかった。しかし今年、猟師さんから丸一頭お譲りいただいたため、初めて頭の先から骨の髄まで堪能できた。肩肉に差し掛かるころには、もう虜になってしまった。特に、背脂の素晴らしさと言えば、それはもう責任者を呼び出したくなるくらいだった。

骨髄を煮込んだスープも美味しかった。野生味があるのに荒々しくなく、育ちの良さが滲み出ていた。胃袋を掴まれるとはこのことかと感嘆したくらいだ。要するに、私が口にしたことのある食肉のなかで、もっとも記憶に残る味だった。こんなご馳走が、いつも眺めている山の中にいたとは思いもしなかった。

穴熊の肉は、狩猟を生業にしている方であっても、滅多に手に入らないそうだ。さらには、その美味しさゆえ、ほとんど身内だけで消費されるため、なかなか市場に出回ることがない。だから運良く目にすることがあれば、ぜひ迷わず手にとっていただきたい。穴熊を食べて驚くのは、味だけではないはずだ。

 

空中へ消えてしまった脂

それは調理をしているときに起きた。冬ごもりで脂質を蓄えた穴熊は、その大部分が白い脂のため、手ごねハンバーグを作るときのように、脂が手にべったりと付く。しかしそこに、不快感というものはほとんどない。さらさらとしており、両手で揉み込むと、まるでラ・メールの高級ハンドクリームのごとく、肌へ馴染み消えてしまうのだ。角煮を仕込んだ鍋にこびりついた脂も、洗剤を使う前の『すすぎ』で、ほとんど流れてしまうのだ。

初めてこれを経験したとき、私は一体何が起きたのか解らずにひどく困惑した。誰かがやってきて、事情を話してくれるのを待ったが、もちろん誰からの何の説明もなかった。仕方なく自分の頭で考えた結果、おそらく「食べているものが良いのだろう」という仮説に至った。

穴熊は山の果実を食べ、土を掘って虫や小動物を探しながら暮らしている。自由に走って的道に運動し、(顔を見る限り)ストレスもあまり感じていなさそうだ。それが『しつこくない脂』の正体なのかもしれない。人間でも、重度の喫煙者と非喫煙者では、肺の色が変わるという広告があるように、生活環境が肉の質に影響を与えるのは、合理的な説明であるように思えた。

その意味においては、これは穴熊だけでなく、ジビエ全般に当てはまるのかもしれない。確かに熊や猪も脂質も似たようなものだし、脂っこいのに翌朝にもたれない。食べ物が身体をつくるのであれば、その土地が身体をつくると言い換えても、大きく外れてはいないだろう。

北欧のサーモンや欧州のロブスターには、力強い美味しさを感じる。一方で、近海で獲れる鯛や鯵、川を泳ぐ鮎や岩魚には、繊細で素朴な味わいがある。その違いは、優劣ではなく、その土地が育んだ風土の違いなのだろう。同じように、古来より日本の山に生息する鹿や猪、熊の肉にも、日本人の味覚のどこか深いところに、懐かしさを呼び起こす魅力があるのではないだろうか。

 

『山の肉』という選択肢

ステーキや、とんかつ、焼き鳥と、私たちは畜産の恩恵を受けてご馳走を楽しむことができている。歴史的に見れば、王族貴族が食べていたようなものだから、本当に恵まれた時代に生きているな、と感じる。

しかし一方で、せっかく日本の山々に、自然に暮らす動物たちがいて、それらを獣害から守るために狩ってくださる猟師さんたちがいるのなら、たまにジビエを食べるという選択肢をもってもいいのではないかと思う。山々を動き回った鹿肉の赤身。冬に備えて蓄えた熊の脂。究極の放し飼いをされたキジバトの肉。そうした上質な肉は、家畜では味わえないものがある。

あなたがもし未だ、穴熊を食べたことがないというのであれば、それは幸運なことだと思う。最初に食べる瞬間は、きっと忘れられない一日になるだろう。そしてその日から、山を見る目が少しだけ変わるかもしれない。

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