主食の秘密
世界中の農家が育てる『主要な作物』には、あるひとつの特徴がある。麦や米、とうもろこしに大豆、じゃがいもにコーヒー。古来から育てられてきたこれらの作物には、どのような共通点があるのだろうか。あなたには、それが見えるだろうか。
でんぷん質が多く、エネルギー源として優れていることだろうか。人の脳が美味しいと錯覚することだろうか。痩せた土地でも育つことだろうか。あるいは、神話において、上級の神から贈られたものなのだろうか。
いずれの案も一理あるだろう。しかしここで私がお伝えしたいのは、それらの作物の『どこを食べるのか』という視点だ。つまり、キャベツのように葉を食べるものでもなければ、セロリのように茎を食べるものでもなく、りんごのように実を食べるものでもない。人類が育ててきた主な作物は、『種子を食べる』という共通点があるのだ。
これは不可解なことに思える。どうして、『実を食べるもの』を育てなかったのだろう。実は種よりも、食べられる場所が多いし、見るからに栄養もありそうだ。たわわに実ったメロンやスイカを前にして、「私は実よりも、種の方が好きなんです。」なんていう輩がいるなら、その人物の身体に流れているのは、血液ではなくトマトジュースだ。それなのに人類は、何千年ものあいだ、なぜか植物の種ばかりを育て続けてきた。
種子が特別である理由
鶏が卵を産んだり、母親がへその緒を通して胎児を育てるように、植物も子孫を未来へつなぐために、自らが枯れる間際に、もっとも多くの栄養を種子へ託している。根を張り、茎や葉を育て、光合成をしながら花を咲かせ、最後には種に養分を集める。だから種子は、栄養価がきわめて高く、食糧として口にすれば、私たちが生きるうえで、必要な栄養の多くを補うことができる。
実際に、米も麦もとうもろこしも、蕎麦の実(種)だって、食品として極めて優れており、ときに完全栄養食として紹介されることもある。また各地で、主食として重宝され、神聖なものとしても扱われてきた。たとえば、古代マヤ文明では、「人間はトウモロコシから作られた」という創世神話が残されている。日本神道においても、稲は天から授かった作物とされている。ついでにイエス・キリストも、自らをパンに喩えた。
なお最初に挙げた作物のなかで、芋だけは、可食部が種子ではないが、『種芋』と呼ばれるように、芋の目から次の芋が生まれる性質があり、そこに多くの栄養が蓄えられる。種子ではないけれど、「後世のために栄養が受け継がれた器官」という意味において、重なるところがある。
私たちは、種に生かされている
改めて、私たちの暮らしのなかを見ると、種子から作られたものにあふれている。味噌や醤油は、大豆や麦から作られるし、みりんや酢は、米を使っている。植物油だって、菜種や胡麻といった種子を絞ったものだ。外食にいけば、パスタもピッツァも、小麦を原料にしているし、ビールやウイスキーだって、麦やとうもろこしを醸している。コーヒーやチョコレートも、実ではなく種子をいただいている。
私たちは、「いろんな野菜をバランスよく食べないと」と思い込むときがある。健康を意識するあまり、根野菜と葉野菜と、茎野菜と実野菜を、いっぺんにお皿に盛ろうとすることがある。しかし、冷静に考えて欲しい。植物たちが、「全身全霊をかけて、栄養は種に集めておきましたよ」と言ってくれているのだから、最初から種を食べればいいのではないだろうか。
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